心がざらっとする、
そんな時があります。
それは、
嫌いな人に会った時、
嫌なことを言われた、された時、
そして
そんな嫌いな人が
上手くいっているように見える時。
そんな時、
自分のくらーーーい部分が
見えます。
くらーーーくて
ドロドロしたトコロ。
その暗さ、黒さたるや、
戦慄迷宮もびっくりかも。
(行ったことはない)
そんな自分の黒くて暗い部分を、
必死で見ないように
気づかないように
隠していたことに
今さっき、
はっきりと気が付いて
しまいました。
まじか、自分。
“嫌いな人は、
自分の「べき・ねば」という
思い込みに気づかせてくれる”
心屋塾でそう教わってから、
嫌いな人がいた時には、
「私はどんな
べき・ねばを持ってるんだろう?」
「その人のどこが嫌なんだろう?」
と、
反応の種を探していた。
そうして
「あ、私はこの人の
こんなトコロが嫌だったのか」
(=自分は自分に
こんなことを禁止してたのか)
と、解放できたトコロも
あるのだけれど、
もやっとすることもあって…。
今までよく分からず、
心のザラっとした感覚が残っていた。
それが、まさか
そもそも
「人を嫌うべきではない」
「人を嫌ってはいけない」
と思っていたなんて。
それに気づいた時の
胸のすーっと感が確かな証拠。
そうして、
「人を嫌ってもいいんだ」
と自分に許した瞬間に、
嫌いだった人が
どーでもよくなってしまった、笑
これからは堂々と
(でも表向きはしれっと)、
さわやかに人を嫌いになれそーです(にやり
Chika8(ブラック)でした( ̄▽ ̄*)