だいぶん、時間が経ちましたが、
明けましておめでとうございます、笑
2017年初めての投稿ですね^^
前回のブログは、
昨年の12月23日に
近所の氏神様にお礼参りを
した話でした。
その後、
12月のBeトレで吉井奈々さんの話を聞いたり、
年末年始に実家に帰ったり、
虎ノ門で肉始めをしたり、
Happyちゃんのシンデレラプロジェクトで
友人の出店のお手伝いをしたり、
氏神様の所で新年のご挨拶&厄払いをしたり、
富山で聖子さん&椿さんの
Wセッションを受けたりと
色々なことがありました。
そんな中で感じた話をひとつ。
以前、ぢんさんのブログで
こんな話がありました。
この話の結論は、
『愛の反対はないよ』ということ。
最近、ふと
「本当にそうだな~」と
思うようになりました。
人の行動は、
すべて愛のために
あるのではないかと。
- 自分を大切にする
- 自分が心地よく居れるようにする
- 誰かを喜ばせたい
- 人を幸せにしたい
- 喜んでもらいたい
- 一緒にいたい
- 抱きしめたい
- 抱きしめられたい
- こんな感じで
自分自身や外に向けられる愛は
分かりやすい。
一方で、
- 自己中心的だとか
- わがままだとか
- 誰かが妬ましいとか
- 誰かに復讐したいとか
- 世間を恨むとか
そういった感情や行動も
実は自分を愛しているが故に
出てくることだよな~と。
他にも、
普段、使っているものや
食べているものは、
誰かが
- 人の役に立ちますように
- 使う人の気持ちが良くなりますように
- おいしく食べられますように
と作ったものであるし、
仮に「売れればいいや」
と適当に作られたモノがあったって、
その裏には
- 自分をラクさせてあげたい
- 自分にラクにお金をあげたい
という自己愛が隠れている。
人によっては
- 家族との時間を最大限にとりたい
と思ってるのかも?
そう思うと、
人工物でいっぱいになった
緑がない、自然がない、冷たい
と言われがちな都会も、
- たくさんの人が働けるようにできたビル
- 歩きやすいように舗装された道路
- 少しでも心が和むように?と植えられた街路樹
- みんなが便利になるようにと作られた地下鉄
みたいな感じで
愛の塊、見渡す限り愛でできた空間
なんだなと思えてきたり。
(たとえ、お金儲けのためだったとしても、
それは自己愛から発生するものだもんなぁ。)
モノでない、
例えば批判や悪口だったとしても、
- 自分が心地よくなるため
- 自分が正しいと思いたい
- 誰かの気持ちになって代弁している
などなど
自分への愛、人への愛ゆえの行動。
ぢんさんの言うとおり、
愛の反対はないんだなぁと思う。
その愛がぶつかり合ったり
すれ違ったり拗れたりして、
問題になることがあるけれど、
愛はどこにでもある、溢れている。
だから何、ということもないけれど、
どこかで誰かが言っていた
“私たちは愛を学ぶために生まれてきた”
という言葉も
その通りなのかもしれません。
今年もどうぞよろしくお願いいたします^^
Chika8でした♪