2018年2月18日夜。
Happyちゃんが
PONちゃんのイベント後に、
帰りのタクシーの中で配信した
インスタライブの書き起こしです。
話の概要は
こちらのブログにもあるのですが、
https://ameblo.jp/ses-happy/entry-12353967366.html?reblogAmebaId=chika-8g&isLightPreview=true
- 2023年9月追記:このブログは削除されています。
ライブ配信を見た時に
すごく「分かりやすい!」と思い
そのエネルギーを覚えておきたくて、
自分への備忘録的に
できるだけ
Happyちゃんの話し言葉そのままに
書き起こすことにしました。
文章を通して、読んでる人にも
Happyちゃんのパワー・エネルギーが
伝わるといいな♪
- インスタライブの全内容書き起こしではないです。
Happyちゃんがインスタライブの冒頭で話してた、
今回のPONちゃんのイベント感想、
PONちゃんとの馴れ初め回想、
ゆりんちゃんとの馴れ初め回想、
は端折ってありますm(_ _ )m
以下、文字の色を使い分けています。
ピンク:Happyちゃんの話
緑:チカ補足(私の解釈ですが、笑)
黒:インスタライブ視聴者からの質問
意識を中心に戻す
意識が中心に戻ると
人が持つ存在力って凄まじい。
そう思いました。
実践しましょうよ。
やっぱ人が変わるの見るの楽しいですよ。
みんななんかチャレンジして見て。
なんでもいいから。
大きなことじゃなくてもいいから。ね。
意識が自分の中心に戻った時の自分って
すごいですよ。マジで。
なんでもやってみる!
PONちゃんも今日を迎えるまでに
いろんな葛藤があってる。
だからいいですよね〜。
(自分の中心から意識が)
ずれてもまた戻ろう。
自分の人生の主役は自分
やっぱりね、自分の人生は
本当に主役は自分しかありえない。ので、
例えばPONちゃんからしたら、
「PONちゃんの世界にいるハッピー」なんですよね。
それをPONちゃんが
「ハッピーの世界にいる私」にしてしまうと、
これいきなり脇役になってしまうんですよ。
反対に、私からすると、
「私の世界にいる存在しているPONちゃん。」
全部をこういう捉え方にして欲しいんですよね。
「社会の中にいる私」ではなくて、
「私の中に存在してる社会」とか
「私の世界に存在する会社」とか。
「会社の中にいる私」とか
「社会の中に存在する私」だと、
“会社とか社会とかが主人公で、
その中にエキストラとして私が存在しいる”
みたいに意識がなる。
「私の世界に存在するハッピー」
「私の世界に存在するぽんちゃん」
「私の世界に存在するはるちゃん」とか
全部自分の世界の中にあくまであるもの
そうすると、
本当に微妙な差なんだけど、
パワフルさが出るよね。
意識が中心の状態にあるから。
私から見たら、
ライブ配信を見てくださっているあなたは
「私の世界に存在しているあなた」
だけど、
ライブ配信を見てくださっているあなたからしたら、
「あなたの中に存在しているハッピー」なんですよ。
それを、インフルエンサーとか
影響力のある人が目の前にいたりすると、
“その人の世界の中に自分がいる”
っていう感覚に陥りやすいから、
気をつけたほうがいいですよね。
目の前にどんな影響力がある
インフルエンサーの人がいたとしても、
「私の世界に存在しているその人」であって
「その人の世界に私がいる」わけではない。
いつもこの正常なものの見方、
「私の世界に存在する何々」っていう
ものの見方が正常ですよ。
だって私の世界にしか観測できないから。
いろんなことが。
だからこの正常な意識状態で
常にいれば平和ですね。
大きなものに圧倒された時
会社とかさ社会とか、
ウッて圧倒されるような
大きさを感じたりする時、ありません??
でも、
「私の世界に存在している社会」だし、
「私の中に存在している会社」ってなると、
自分の意識が中心の状態になるんですよ。
だから、例えば、目の前で怒られて
なんかものすごく力を奪われてるような
感覚になった時には、
「私が登場させた、
私の世界にいる目の前の誰々」
っていう感じにすれば、
その人のパワーがいきなり薄くなるというか、
自分にパワーが戻るから、
目の前の人のパワーが本当はなくなってないんだけど、
なんかそういう感じになると思う。
「私の世界に存在する〇〇」
ってやると、自分に力が戻るでしょう?
そうすると、
今日のPONちゃんみたいにさ、
脇役意識からさ、主役意識になるよねぇ。
だから、権力がある人(が相手)でも、
それも「私の世界に存在するその人」だよね。
そう意識が変わると捉え方が変わるから、
起きるダメージが変わる。
ホントそこなんですよ。
相手がパワーめちゃくちゃあって、
自分がパワーがないと思ってる意識状態だと、
ものすごいきついし苦しいわけよ。
でも、
「私の世界にこの人はただ存在しているだけ」ってなると、
何を目の前の人に言われても、
私の世界であくまでも起きている出来事だし、
私の世界に登場しているだけの人だから、
その人に力を渡すことがないね。
Q:片想いの人へも?
もちろん、誰でも、どこでも、
どんな状況でも、どんな環境でも、ですっ!
っていうのをね、
今日、PONちゃん見てて思ったんだ〜♪
いや、2年前って、
「自分は写真うつりません。
一人だけのやつ取らせてください。」
ってなこと言ってたよな、あの人…!って思って、笑
みんなが「私が主役」をやると上手くいかない?
でね、(みんなが)
「私が主役」っていうことでやってたら、
上手くいかないんじゃないかな?
みたいなことをたまに言われたりするんだけど。
「私の世界にある、存在する何々」
っていうものの捉え方だとさ、
“自分が力持ってる”って
ものすごい信頼できて、
安心してる中で(自分が)存在してるから、
「私が人生の主役である」なんだけど、
全体を見る目ができるって言うか、
その自分が作り出した世界を
もっとより彩りよくしようって意識になる。
だから、例えばだけど、
今日はPONちゃんが主役で
PONちゃんが中心でって、
誰かがその中心にいる時の
世界に(私が)登場した時も、
そこの世界がもっとより良くなるために
どうしたらいいかなっていう
動きをしようとする意識になる。
その人の場を奪ってやろうとかって言う意識は、
“自分に力がない”
“自分が主役じゃない”から、
“そこに自分がいないと
何か奪われる”って感覚があるから、
そう言うことが起きるんだけど、
自分の意識の中心にいるってすごくパワフルだから、
誰が中心にいる会でも、
そこの中の自分の役割っていうか、、、
合わせるわけじゃないんだけど、
もっとこの場がよくなったらいいなっていう、
配役になろうとする。
本当は誰にも奪われない
そうそう。誰もねぇ、奪えない。
奪えるのは自分だけだし、
奪われてると思ってるだけで、誰も奪えない。
みんなが中心意識であれば、
奪い合いは起きませんよ。
Qそれは人に合わせてるのとは違うの?
ちょっとこれ上手く言語化できないなぁ。。。
合わせてるっていうか、
全体がもっと良くなるような視点で動くって感じなんだよなぁ。。。
(あくまで、自分が心地いいこと、
自分からいいエネルギーが出ることについて。
というのがベースにあるのかも?
嫌い・興味ないイベントだったら、
“行かない人”という配役になって
その間別の自分の心地いいことをしてたら、
自分からいいエネルギーが出て
その行かなかったイベント含め
宇宙全体が良くなるんじゃないかな〜)
「私が主役でないと!」っていう方が
(自分で自分のパワーを)奪ってるんよ。
なぜなら、不安で(自分には)パワーがないと思ってるから、
いつでもその場の主役でないと自分の存在が認められない!
みたいな意識が働くから。
意識が自分の中心があると満たされるんですよ。
満たされるから、、、
(全体が良くなる視点で動ける)
Qそのタイミングでの自分の役割は分かるのか
そうねぇ。なんかそんな感じかも。
今回ミュージカルを作ったけど、
やっぱミュージカルの中でも色んな個性と役柄の人がいるでしょ。
で、その役柄をなんかこう全うすることで
舞台が映えるわけで、その一人一人が。
その都度その場で最大限この舞台が良くなる
自分の心地いい在り方をチョイスするようになるねぇ。
それが、サポート役なのか、司会なのか何か分からないけど、
色々その時によるよねぇ。
不安だったり、不足感を感じる時っていうのは、
意識の中心にあなたがおざなり、お留守になってるからだよね。
だからそれをキュッと戻せば、いきなり心安心しますよ
以上です♪
質問がありましたら、
私が分かる範囲でよければお答えしますし、
リブログ・シェアも大歓迎です☆
チカでした♪