お金に関する気づきは
まだ続いている。
今日は
「お金がほしい」と思うことも
許していなかったんだな
と気づいたお話。
「お金がない私」を
ダメだと思わなくなって、
悪いと責めなくなったら、
素直に「お金がほしい」と
思えるようになった。
それまでも、
普通に「お金がほしい」と思えている
そう思っていたけれど、
実は、同時に、
「お金がほしい」と
思う自分も責めていたんだ。
その時の私には、
「お金がほしい」
=現状「お金がない」
と同義だったから。
だから、
「お金がない私」は悪い
「お金がない私」はダメだ
そう思っていた私にとっては、
「お金がほしい」と思う
=「お金がない私」
= 悪い、ダメだ
無意識に
そんな公式ができていた。
だから、
「お金がほしい」と思う時、
「お金」について話す時、
なんとも言えない居心地の悪さを、
その場から逃げたくなるような感覚を
味わっていたんだ。
「お金がほしい」と
素直に思えるようになったら、
それに伴って、
他の願いも浮かび上がってきた。
「お金がほしい」を
許していなかった時は、
「お金がかかる願い」も
許せなかったから、
そもそも
意識に上がらないよう、
無意識に願いが
抑えられていたんだと思う。
抑える力は、
「お金がかかる願い」だけでなく
「お金がかからない願い」にも
波及していて、
全体的に
「願いがわからない」
「好きなことがわからない」
「やりたいことが
イマイチはっきりしない」
モードになっていたと推測。
願うことに罪はないし、
願うだけならタダなのにね、笑
じゃあ、これからどうするの?
というお話は、また次の記事に。
※ 追記:続きはコチラ。
余談。
昨日片付けをしていたら出てきた、
昔、牛飼座さんに書いてもらったカード。
彼に出会ったのは
就職先をどうするか悩みに悩んでいた時。
定期入れに入れて、
10年くらいずっと持ってた。
今見てもいい言葉だな